やってみた 半田市 知多半島

【徹底調査】半田市の町名の由来を全て調べてみた。

地名というディープな世界

僕は小学校の頃に読んだ「学研まんが日本の歴史」の影響で戦国時代が大好きです。


▲こんなやつ。ムロタニツネ象先生の絵が懐かしい。

歴史好きはだいぶこじらせていて、

「真田丸面白いよね〜」と言われると、

「ああ、信繁ね。ハイハイ。彼もいいけど、俺はどっちかといえば信幸かなあ。もっといえば、長篠で討ち死にした信綱もいいけどね、はは」

などど全く望まれていないコメントを返して相手を不快にさせる嫌なやつでした。

そんな僕も地元の歴史=郷土史には興味がなく、図書館の郷土資料のコーナーや、「半田の成り立ち」を熱心に研究している方の気持ちは全く理解できませんでした。

しかし転機が訪れます。

古地図との出会い

ある時、友人がニヤニヤしながらipadを見ていました。

いかがわしいサイトでも見てるのかなと思ったら、なんと彼はアプリで古地図を見ていたのでした。

古地図とは、その名の通り古い時代の地図。今の地図とは違う手作り感と地形の違いに興奮がとまらない。

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▲江戸時代の古地図

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▲google earthで古地図の上に現代の建物を合成してみた。

古地図とは渋いな・・と思いながら一緒に眺めているとこれがなかなか面白いじゃありませんか。

本題とずれますが、今から1300年前の愛知県の地図がこれです。

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尾張の古地図から類推しえる縄文期・弥生期の地形と海岸線についての雑感より
(郷土誌かすがい 第49号所収)を参考にされているようです。

イラストになっているものを引用させて頂きます。

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木曽川下流河川研究所さんから

1300年前の地図、すごすぎませんか?

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▲google mapで比べればこの違い。

地名に「島」がついてるところは、以前は本当に「島」だったというワクワクすぎる事実。

津島も、飛島も、長島スパーランドの長島も、そしてなんと一宮も昔はみんな島。

名古屋駅なんて海の中。

というか名古屋のほとんどが全て海の底だったんですね。

お も し ろ い

じゃあ僕の地元、半田市の地名の由来はどうなってるんだろう。

残念ながら古地図は入手できませんでしたが、地名についてはいろいろ調べることができました。

成岩(ならわ)とか、岩滑(やなべ)とかマジで謎な地名はいっぱいあります。

これ、全部調べたら面白くないですか??

好奇心旺盛な悪魔のささやきに、耳をかさない僕ではありません。

すぐさま地元の図書館に飛んでいき、図書館で郷土史に詳しい方を捕まえてオススメ本をゲット(借りた)

ちなみにオススメされたのはこの本。

この記事での引用部分は特にことわりがなければ「角川日本地名大辞典」という本からです。

結論から言うと、由来がわからない町名もかなり多かったんですが、それでも15000字のすごいボリュームになりました。
(半分くらい、僕の個人的な追記が占めます)

それでは、いってみましょうか!

半田市の地区割り

半田市は大きく分けて5つの地域から成り立っています。

西から青山地区・成岩地区・半田地区・乙川地区・亀崎地区となっています。

しかし、調べれば調べるほど成岩地区と青山地区の境界が不明瞭なので今回は青山地区と成岩地区は合わせて成岩・青山地区として扱わさせてください。。

それぞれの地域の特色は後に記載しています。

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半田市のwebサイトからお借りしています。

半田市の由来

半田市の由来は実ははっきりしておらず、一番古い資料で西暦1608年に半田村という記述がある、ということしかわかってない様子です。

現在の常滑市を含む古代の堤田層が、中世末に坂田床(はんだ、と読む)となり、坂田が半田となったとする仮説があるが定かではない

とのことです。

ちなみに幕末期には半田村・岩滑村・有脇村・成岩村・亀崎村・乙川村という具合に分かれていたようです。

ちょうど今の中学校区に近い区分けになっているのが興味深いですね。

乙川地区(おっかわ)

乙川地区の歴史は古く、1224年に乙川村の記述があるようですが、名前の由来は付近の阿久比側が当地付近で「乙」の字のように大きく曲がって流れ、その形が乙の字に似ているから、との説があるようです。

明治6年に年貢米の件で一揆を起こし、県庁まで押しかけようとして現在の東浦あたりで押しとどめられた、という血気盛んな歴史があるようです。

・北大矢知町

由来不明。江戸時代の天保12年(1842年)にすでに農業が行われていた模様。

・東大矢知町

由来不明。第二次世界大戦後、酪農が始まった模様です。

有脇ー乙川を結ぶ抜け道になっていますが、一部、車はすれ違い不可能な狭い道なので自信ない方はやめておくのが無難です。

ここで僕は2度ほど他人の喧嘩を仲裁しました。(どちらが譲るかで喧嘩になった模様)

・西大矢知町

由来不明。第二次世界大戦後、酪農が始まったと記載があるが、現在酪農が行われている様子はありません。

実はここで育ったのですが、小さい頃(25年ほど前)は猟銃を持った人が多数出没、禁猟区の看板が立てられる程度には田舎でした。

・南大矢知町

由来不明。江戸時代の天保12年の資料に「山の田」という記述があるとのことです。

現在は完全に住宅街ですね。

・上池町

由来は東側にある七本木池から来ているとのこと。昭和18年の中島飛行機半田製作所の建設に伴い、従業員宿舎が立てられる。
伝聞によると、空襲の被害も受けていたはず。

オグリという文房具屋さんがあった思い出があります。

・横川町

由来不明。昭和20年の爆撃で大きな死者を出している。

横川公園という大きめの公園があり、そこにかつてあった鉄棒は身長188cmの僕が手を伸ばしても届かない巨大なものでした。
(現在は撤去)

・西生見町

由来不明。天保元年(1830年)に新田が開発された地域。

ここにある半田東高校は母校です。

・東生見町

由来不明。ここも天保12年に新田があった模様。

よく見ると、日本福祉大学、農協、老人ホーム、コンビニのみで構成されているすごい町。

・中生見町

由来不明。天保元年(1830年)に新田が開発された地域。

かなり狭い町ですね。

・平地馬場町

由来不明。天保元年(1830年)に新田が開発された地域。

ほぼ墓地です。

・一本木町

由来。昭和18年の中島飛行機半田製作所の建設に伴い、従業員宿舎が立てられる。
昭和20年の爆撃で死者多数。

ちなみに七本木池はここに属します。

・七本木町

由来不明。俗説だが、東京の六本木は6本の松があったからという説もある。ここはどうでしょう。

平成27年に七本木池の整備が完成し、1周1650mの散策路、池の真ん中を歩ける桟橋、5種類の遊具、トイレが完成した。

なかなか大きな駐車場があり、平日の昼間はサラリーマンの憩いの場(車内昼寝)となっているのは内緒。

・大高町

由来。上池町と共に中島飛行機半田製作所の宿舎が立てられ、戦後は住宅地として発展。

大村屋さんという美味しい焼肉屋さんがあります。

・美原町

由来不明。昭和40年に制定された町。

ここにあるたこ焼き屋「たかやん」はあっさりで美味。

・大伝根町

由来不明。個人的にとても気になっていました。

横川小学校は母校でした。

ここの大伝根公園はピラミッドパワーを意識したような不思議な建築物が存在している。

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半田市の公式サイトより。

・新池町

新池という池が町内にあるのが由来。

住宅街の中に「カジキ」という美味しい料理屋さんがある。

・兀山町

由来は字名からという記述。確かに、山ではあるが開拓されて畑になっている。

・横松上町

隣町の阿久比横松に面しており、横松よりも崖上にあるから、という由来。
ちなみに阿久比の横松の由来は、昔このあたりが海で入江になっていた頃(‼︎)、出入り口に松があり、それを目印にしたという伝説がある。

・苗代町

由来不明。天保12年に上苗代田という記述あり。

子供の頃、ここに「ふれんど」という駄菓子屋さんがあり繁盛していた記憶があります。

・長根町

由来不明。昭和40年から開発された集合住宅がある。僕は長根幼稚園の出身です。

・一ノ草町

由来は不明だが、天保12年の頃は「字市そう」とあり明治期までは「いちのそう」と呼ばれていた。

一ノ草病院はここにあるのかと思いきや、長根町にある。

・乙川一色町

由来不明。件のたこ焼き屋、たかやんの支店がある。

・乙川市場町

由来不明。乙川地区では最もはやい時期に開けた地域。

江南という、とんかつの美味しいお店があります。

・乙川内山町

由来不明。三洋堂書店のある地域。

・乙川太田町

昔から水田地帯だった模様。近年、川沿いの道が整備されてウォーキングやランニングコースになっている。

・乙川北側町

由来不明。ちょうど乙川小学校がある地域。

・乙川源内林町

尾張藩士 毛利源内の屋敷があったとも伝えられる。

乙川白山公園には高さ12m(!!)の展望台がある。

・乙川栄町

由来不明。乙川地区の中心部。

乙市商店というリーズナブルな八百屋さんがあります。

・乙川新町

由来不明。小学生の頃はここにある乙川文化シティで油絵を習っていました。

・乙川末広町

町の形が扇形に近かったことからこの名がついたとのこと。

乙川と呼ばれるのが不思議な位置にあります。

・乙川高良町

由来不明。光照寺という大きなお寺があります。

・乙川殿町

近世で最も人口が密集していた地域。町内には乙川八幡社の拝殿・本殿があり、乙川祭りではなんと4台の山車がでます。

・乙川西ノ宮町

この地の天王社が西ノ宮と俗称されたことが由来。白山公園は明治23年の陸海軍大演習の跡地。

・乙川畑田町

近世では綿織り物の工場が多数建てられたそうです。

昔ここのラジコンショップによく行きました。

・乙川八幡町

由来不明。

20年ほど前にここにあった加藤模型というプラモデル屋さんがかなりの穴場で熱かったです。

・乙川浜側町

元は海岸線に近く、奈良期の製塩遺跡もあるとのこと。

・乙川稗田町

由来不明。

・乙川深田町

中世までは阿久比川の河口に近い低湿地で、深い泥田だったとのこと。

あすなろはたまに花を買いにいきます。

・乙川薬師町

現在の農協乙川地所に明治初年まで薬師堂があり(現在は海蔵寺内)町名はこの薬師堂に由来。

通り沿いの蜂蜜屋さんがいつも美味しそうで気になってました。

・乙川向田町

由来不明。大丸掛け軸センターという渋そうなお店がある。

・乙川吉野町

葭(あし、よし)が多く生い茂っていたことが由来。葭野畷(あしやてつ?)と呼び、寂しいところの代名詞とされたが、昭和期に入って紡績工場が建設された。

ちょうどパワードームとカーマがある区域。

(懐かしのヤオハン・・)

・乙川若宮町

地内に若宮神社、海蔵寺があるエリア。

・乙川町

乙川駅がある。ちなみに乙川駅前通りは昭和18年に疎開道路として建設されたとのこと。

・向山町

乙川の中でも強い自治力を持っており、「向こうの山」という意味でこの地名となったとのこと。

・小神町(こしんちょう)

由来不明。区画整理で浜田町の方へ抜ける道ができた。

・大松町

由来不明。ここも中島飛行機半田製作所の宿舎があった。

・新居町

由来不明。海岸に近い地域は近世、製塩が行われた。

海に面した地域は工業地帯、陸の部分がお店は多い。

・禰宜町

由来不明。向山町・新居町の一部だった。

なぜかここに西尾市のペットショップの看板がある。

・前田町

由来不明。ここも中島飛行機半田製作所の宿舎があった。

スーパー激戦区だが、古参のスーパーよしおかが奮戦しています。

・花田町

由来不明。乙川東小学校のあるエリア。

中学生の頃、この周辺でかつあげされて全財産2000円を奪われた嫌な記憶がある。

・平地町

由来不明。文政年間(1818〜1830年)は庄屋が置かれた。昭和20年に開校した平地国民学校は、後の乙川東小学校。

ALCAVAというおしゃれなイタリア料理のお店があります。

・大池町

由来不明。乙川中学校が昭和32年に新築移転してきた。

・庚申町

由来不明。当院の看板をお願いしているアイウラ看板さんがここに。

・飯森町

由来不明。この地の乙川中学校の校歌は「飯森の丘〜」から始まるが、あんまり丘を感じない地形です。

・浜田町

由来不明。以前住んでいたことがあります。

・中午町

昭和18年に中島飛行機半田製作所が作られ、激しい空襲にさらされた地域。

このあたりに昔みどり牛乳の大きな看板があった気がします。

・高砂町

中島飛行機半田製作所の滑走路があり、激しい空襲にさらされる。

現在は農地になってますね。

・中億田町

由来不明。このあたりはふれあいプールや億田グラウンドへ行く時に通る道、というイメージが強いですね。

・東億田町

由来不明。

・西億田町

中島飛行機半田製作所の滑走路があった。

・日東町

由来不明の埋め立て地。

武豊町から亀崎へ行くにはここが近い。

・川田町

中島飛行機半田製作所の一部があった。中島飛行機、大きすぎる。

・八軒町

ここもまた中島飛行機半田製作所の一部があった。

・相賀町

ここもまた中島飛行機半田製作所の一部であり、戦後は工業地帯。

入り組んだ住宅街で、方向感覚に自信がないとあっという間に迷ってしまう。

・古浜町

ここもまた中島飛行機半田製作所の一部。

魚市場は一般販売もしている模様。

・上浜町

中島飛行機半田製作所の中心部だった。

太陽光パネル11万枚を誇る、半田ソーラー発電所がある。

亀崎地区

由来は神崎が転じたものという話がある。

酒造→漁業→綿織物→ノリの養殖と、主たる産業を時代に合わせて変化させてきた地域。

現在は港湾部が工業地帯として転用されている。

またこの地で行われる潮干祭りは5台の山車が駆け回る勇壮な祭りで、2016年にユネスコ無形文化遺産に登録されています。

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潮干祭り公式サイトより。

亀崎地区の町名の由来

・亀崎相生町

由来不明。昭和45年の世帯数137、人口528。

丘の上の住宅街への道は、一見さんお断りの難易度。

・亀崎大洞町

由来不明。昭和45年の世帯数20、人口97。

のぞみが丘、東浦町と隣接している。

・亀崎北浦町

江戸時代から港として利用されてきたが、昭和34年の衣浦干拓工事により港は消滅。

昭和45年の世帯数118、人口547。

このあたりでは数少ない銭湯、亀崎の湯がある。

・亀崎新田町

ちょうど麺屋一火のある辺り。

昭和45年の世帯数2、人口2。

人口2ってすごいですね。。

・亀崎月見町

由来は大正14年大典の際、悠紀殿の屏風に描かれた「亀崎の月」と題する祝歌がこの地から見た知多湾に映る月の姿に由来するとのこと。

昭和45年の世帯数198、人口758。

・亀崎高根町

高根山と言われる丘陵地帯で、亀崎中学校が昭和23年に移転してきた。

平地町ー亀崎駅の道幅も広がり、かなりアクセスが良くなりました。

昭和45年の世帯数487、人口1772。

・亀崎常磐町

日本最古の現役の駅、と言われるJR亀崎駅は明治19年開業。

昭和45年の世帯数198、人口1030。

・有脇町

由来は新しく開墾された地域=新墾(あらき)とのこと。過去には有脇村として村役場があったこともあるそうです。

ここの人が亀崎中学校に通うのはなかなか大変そうです。

・稲穂町

地内のほとんどが江戸期に整備された新田。昭和45年の世帯数は18、人口73。

・緑ヶ丘

元々は有脇の一部だった。昭和45年の世帯数は154、人口611。

・石塚町

西部は古くからの住宅地。ちょうど衣浦大橋から阿久比インターに抜けるところであり、NTT東海総合グラウンドは市外からも利用者も多く、ナビのない時代は皆を迷わせた。

・上定光町(かみじょうこうちょう)

先のNTT東海総合グラウンドの敷地はここにもまたがっている。昭和45年の世帯数1、人口6というデータはすごい。

・のぞみが丘

日本福祉大学半田キャンパスが存在し、さらに規模の大きい住宅街がある。ここについてはデータがあまりありませんが、半田キャンパスができたのが1995年、住宅街ののぞみが丘公園が造成されたのが2000年と、まだまだ新しい地域。

住宅街の内部は複雑で、慣れてないと迷子になります。

成岩・青山地区

本来、成岩地区と青山地区は分けて考えるべきなんですが、この2つの地区の境界線が曖昧で作業が難航した為、ここでは一括して扱います。

成岩の由来

その昔、英比川の土が流されて岩についた地を岩滑といい、その下流で岩が岩に触れて音が鳴っていた地域を鳴岩=成岩と呼んだ説と、伊勢山田の奈良波殿(すみません、調べたけどなんのことかわかりませんでした)を起源とする説の2つがある。

中世期は製塩業が盛んだったようですが、この地で有名なのは常楽寺というお寺でしょうか。

戦国時代、本能寺の変で織田信長が横死した際、堺にいた徳川家康は命からがらここまでたどり着き、家康の従兄弟が住職をしていた縁もあり、ここに寄ったそうです。

話がそれますが、僕の苗である「舟橋」の由来は、この本能寺の変で家康が逃げてきた時に、半田〜碧南まで船渡しをしたことが由来と聞かされてきました。

しかし、最近地元の歴史に詳しい方に話を聞くと、この手の話はありふれていて、恐らく根も葉もない話だろうと一蹴されてしまったという苦い話があります。

青山の由来

もともと成岩の一部だったということしかわかりませんでした。

成岩・青山地区の町名の由来

・成岩本町

成岩公民館がある。地図で確認するとギザギザな形になっているが何か事情があるのだろうか。

・成岩東町

由来不明。吉仙という美味しい日本料理のお店があるが、なぜかgoogleでは焼肉店の表記となっている。知人の方が見ていたら教えてあげてください。
(現在はリニューアルして焼肉店になっているそうです)

・板山町

由来不明。隣町の阿久比にも板山という地名があるので、半田板山と呼ぶこともある。たま川という漬物食べ放題のうなぎ屋さんが有名。

・神田町

由来不明。同名の町は愛知県だけで一宮、名古屋市千種区、豊田市、碧南市に存在。神田そのものの意味は仏教の寺院の所有する田という意味らしい。

・吉田町

由来不明。豚料理の名店「ブリオ」さんがある。

・君ヶ橋町

由来不明。君ヶ橋という橋は見当たりませんでした。

・四方木町(よもぎちょう)

由来不明。板山小学校がある。

・椎ノ木町

由来不明。瑞光の里という大きな老人ホームがあります。

・新野町(にいのちょう)

由来不明。なにがあったのか不明ですが、町の形が蝶のような形をしています。

・大湯町

由来不明。温泉か銭湯があるのかと思いましたが、ありませんでした。

・神代町

由来不明だが、地内に八幡神社がある。昭和45年の世帯数6、人口22。

・池田町

由来不明だが、名前の通り大きな池があります。

また、半田運動公園という芝のサッカーグラウンド、テニスコート、陸上のトラック、トレーニングルームさらにバーベキューができるスペースまで備えた施設が存在。

しかし、かなり奥地にあるので最近まで存在を知りませんでした。

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半田市のサイトより。

・高峰町

由来不明。知多半島は元々ため池が多いのですが、ここの町内だけで7つ確認しました。

・黒石町

由来不明。墓地とゴルフ練習場があるようです。

・田代町

由来は不明ですが、田代=田の意味があるそうです。

・金山町

由来不明。ここを走る266号線は新舞子へ抜けるのによく使います。

・桃山町

由来不明。ちなみに安土桃山時代の桃山は、豊臣秀吉が最後を迎えた伏見城が徳川の世になって取り壊され、城跡に桃が植えられて「桃山」と呼ばれたことに由来します。歴史ロマンですね。

・三ツ池町

由来不明。ちなみに池は一つしか確認できませんでした。

・鵜ノ池町

由来不明。地名の鵜は長良川の鵜飼のイメージが強いが、湖や沼に生息すつ場合もあるらしいです。

・横山町

知多南部卸売市場があり、八百屋さんや青果を扱う方はここで仕入れていることが多いが、一般販売はない模様。

ちなみに碧南にも市場があり、あおいパークで市場の野菜を購入することができます。

・行人町

由来不明。ストリートビューで見ると、田園地帯といった印象で行き交う人が全く見当たりませんでした。

・十三塚町

ここははっきりした由来があります。慶長五年(1600年、関ヶ原の戦いの頃)に宮山城主の佐治与九郎親子が戦死した際、家臣13人がこの地に逃れたが惨殺された為、村人が埋めて塚を築いたという伝承が残っています。

・稲荷町

鴉根稲荷神社があるので、この地名になったそう。

ポケモンGOが流行っていた頃、夜中にこの辺りを”大きなお友だち”が彷徨いていたのが印象的でした(自分もその1人)

・鴉根町(からすねちょう)

由来不明。パネル15,000枚の規模を持つ半田ソーラーパークがあります。

・春日町

春日社というお社があることからこの名になったそう。沢田屋というコロッケの美味しいお店と、マルエス食堂という知る人ぞ知る定食屋?があります。

・東郷町

あの徳川家康も立ち寄ったという常楽寺がある。ちなみに常楽寺の開祖は文明16年(1485年)。たまに半田市をめぐるテレビ番組にも出ることがあります。彦摩呂さんもきていました。

・宮本町

半田インターも近く、大通りもありお店の多い地域。

町内にある”じゅっぽんめ”という焼き鳥さんは美味です。

・彦洲町

由来不明。知多半島道路の半田インターがあるところ。

もし間違って高速に乗ってしまっても、ゲート通過後に左折すると元の道に戻れるという、優しさに溢れた町です。

・新宮町

由来不明ですが、砥鹿神社という神社があるので、そこが由来なのでしょうか。

岡のてっぺんにある為、得意のストリートビューでも到達できませんでした。

・山代町

由来不明。今でこそユニクロをはじめ、色々なお店が立ち並んでますが、昭和45年の人口は驚きの10人。

キッチンゴンネというお店のオムライスが美味しいです。

・南二ツ坂町

由来不明。宮池小学校がある。町名の通り、ゆるい坂になっている地域がおり、半田体育館と科学館が立ち並んでいます。

ちなみに北二ツ坂町は半田地区に含まれます。

・桐ヶ丘

由来不明。図書館や博物館があるインテリジェンスな地域で、当院(鍼灸マッサージ GREEN NOAH)もここが住所です。

・天神町

ここはなにもない・・と思いきやバンビーニという渋すぎる喫茶店を発見したので今度行ってみます。

・仲田町

由来不明。ここから桐ヶ丘へはかなり坂になっているので徒歩と自転車組は気合が必要です。

・栄町

由来不明ですが、愛知県だけで栄町は11件存在するようです。

カフェの名店voyageはここにあります。

・寺町

由来不明。寺町なのに寺はなく神社しかない、不思議な町。

・前潟町(まえがたちょう)

由来不明。日本ガイシがあり、日本ガイシ以外見当たらない町。

・新浜町(しんはまちょう)

由来不明。地図で見る限り、鉄塔以外なにも見当たりません。

・川崎町

由来は昭和20年操業開始の川崎製鉄知多工場に由来。完全な工業地帯です。

・青山

由来は不明。名鉄青山駅から西一帯〜春田内科さんあたりまでが青山です。

昔は青山町と呼ばれていたと思われます。

・花園町

由来は不明で、青山地区と武豊町の間の地域。

住宅街の中にお店が何件かある、そんな地域。

個人的に好きなたこ焼き屋さん「たかやん」の支店があるが、土日しかやってないのが難点です。

・有楽町

東京の有楽町は信長の弟、有楽斎からとったそうですが、半田の有楽町の由来は不明です。

成岩城という城がこの辺りにあったのは半田市民の僕も知りませんでした。

パフェが有名なシャンドールがあるのはここです。

・旭町

ドン・キホーテやコロナ、キャットなど、娯楽施設のイメージが強い地域。

コロナとドンキの間は通行人が多く飛び出しが多いので注意が必要です。

・昭和町

由来不明。細長い形をしており、名鉄知多半田駅〜ドミノピザまで南北に伸びてます。

どうでもいいですが、昭和町は数多くあるのに平成町はあまり見ないのはなぜ?

半田地区

半田の由来は前述の通り常滑の坂田床が由来という説が有力なようです。

中埜酒造→ミツカン酢のように醸造業が盛んな地域で、童話作家の新美南吉の出身地ということで、南吉にちなんだ施設が複数存在します。

また31台の山車が集結する半田山車まつりが5年に1度行われます(次回は2017年)

半田地区の町名の由来

・岩滑南浜町

やなべ、と読みます。

英比川の土が流されて岩についた地を岩滑といったそうで、ちなみに英比川は阿久比川の支流だそうです。
調べても出てきにくいですが、県道55線を挟んで阿久比川と並走しているのが英比川のようです。

・岩滑北浜

僕の岩滑のイメージは、それこそ南吉記念館の方だったんですが、まさかこんな場所が・・というイメージの場所です。

・岩滑東町

半田口駅の東のエリア。完全な住宅街。昔リサイクルショップが奥の方にありましたが、今もあるんでしょうか?

・岩滑中町

半田口駅の西のエリア。豚宏というラーメン屋が美味でよくいきますが、その他にもお店が多い地域。

・岩滑高山町

岩滑小学校がある地域。ここにあるダイ平水産の平日千円で食べ放題ランチは大好評で激混みです。

・岩滑西町

ここの矢勝川の彼岸花は時期によって極彩色の絶景を見せてくれます。

パンのトラは最近名古屋にも進出しました。

・丁田町(ちょうだちょう)

由来不明。面積も狭く、人家も見当たらない。

・欠ヶ下町(かけがしたちょう)

矢勝川の堤防と水路に町名をつけてみました、そんな感じの地名。

彼岸花の季節はここを歩くのをお勧めします。

見頃は9月中旬〜10月上旬ですが、気候により異なるので、その都度観光協会などで確認するといいです。

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・明田町(あけだちょう)

由来は神明田によるとのことですが、その神明田がなにを指すのかわかりませんでした。

ここも堤防沿いの1区域です。

・平和町

古くから集落を形成していたとのこと。

童話作家、新美南吉の養家がある地域。見学は事前にかみや美術館に連絡が必要。

住宅街の中にセレンディピティというオシャレなカフェがあります。

※2023年現在はありません

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・平井町

阿久比〜半田の抜け道になっているので、通ったことがある方も多いかもしれません。

修農公民館・修農保育園と「修農」は使われているが、この言葉の意味は調べてもわかりませんでした。

全国的にみてもここでしか使われていない模様です。

・新生町

昭和32年に制定された町。のどかな風景がひろがる。

・宝来町

酪農の他、果樹栽培も盛ん。半田市民は常滑のコストコへ行く時にここを通ることが多いはずです。

・奥町

市内南部の丘陵地帯。中世の古窯が多く残っているとのことです。

・滑楚町(なめそちょう)

由来はかつてこの地を滑楚谷と呼称したことによるそう。

調べた限りは全国でもここしかない珍しい地名。

・深谷町(ふかだにちょう)

古窯が多く分布しており、深谷大古窯址群と呼ばれる。

漫画ひょうげものでも少し扱っていましたが、丘陵地帯で高低差がある方が古窯業が発展しやすいのでしょうか。

成岩地区から半田中央インターへの抜け道があり、車の往来が多少あります。

・枝山町

かつてこの丘陵地帯を枝山と呼んでいたことに由来するそうです。

・柊町

農業高校、工業高校、そして知多自動車学校一帯が範囲。

寛良寺近辺の山を柊山と呼んでいたことに由来するそう。

その寛良寺は明治時代に静岡県から移転してきたそうですが、一体なにがあったんでしょう。

・清城町

かつてこの地を清四郎山と呼んでいたことに由来する。

ここにある雁宿小学校は、池を埋め立てて開校している。

・雁宿町

市営球場、福祉文化会館(雁宿ホール)、雁宿公園などがある。

かつて半田市民プールや、半田市民病院がこの地にあったのは有名な話。

近年、雁宿公園は整備されて綺麗になっています(動物園は健在)

・星崎町

かつては水田地帯だったようですが、現在は住宅街になっています。

にゃおカフェという日本最大級の猫カフェがあるのはここ。

・出口町

半田警察署、知多総合庁舎などの官公庁がある地域。

ここの交差点は名鉄の踏切りとの相乗効果で慢性的な渋滞が起きています。

都市計画で東側のJRの踏切(そんなに混まない)は高架になるようですが、ここは駅が近いので難しいのでしょうか。

・宮路町

税務署、裁判所などの官公庁がある地域。

2月〜3月は確定申告の影響で混雑するので注意が必要。

また、東側の住吉神社では「ちんとろ祭り」という大量のちょうちんを掲げた船を池に浮かべるお祭りが開催されます。

(船大工だった僕の祖父がこの船を作るのに一役買っていたようです)

・清水北町

名鉄住吉駅の南側、郵便局や生せんべいで有名な田中屋総本家がある地域です。

紙ならなんでも揃う松屋紙店も店を構えている熱い地域です。

・清水西町

住宅街。小野耳鼻科さんの東側の地域です。

・清水東町

ここも住宅街。うらしま不動産さんがあります。

・前崎東町

由来不明。山善という美味しいまぐろ屋さんがあります。

・前崎西町

名鉄河和線の踏切を雁宿側からピアゴ側に渡る時、ここを通過することになります。

・天王町

この地の国指定重要文化財旧中埜邸はかつて服飾の専門学校、桐華学園として運営、その後は紅茶専門店T’s cafeとして運営されるも、現在は半田市に譲渡されています。

T’s cafeは引田天功さんもよく訪れていたとのこと。

この地にある浜潮という日本料理屋さんはとても美味です。

(特に茶碗蒸し)

・堀崎町

住宅街。この中に住吉公民館があります。

・榎下町(えのきしたちょう)

赤レンガ建物や、名古屋ハウジングセンターがある。

個人的にはこの住宅街の真っ只中に拘置所が存在することに驚きました。

赤レンガ建物についてはこちらをごらんください。

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▲ライトアップされた赤レンガ建物。公式サイトより。

・西新町

いつも混雑している半田年金事務所がある地域です。

・大坪町

「半田市 大坪町」で検索してみてください。全く大坪でなく猫の額のような規模の町です。

江戸時代にすでに大坪と呼ばれていたとのこと。

・鶴田町

存在そのものが検索しても出てこなかったのですが、こんな悲しい歴史があるようです。

・東新町(ひがししんまち)

東邦ガスがあるところ、ですね。

・住吉町

住吉神社から名を取ったとのことです。

ユニーオイル、タイヤマンがある地域です。

住吉神社の横の住吉会館で結婚式を挙げた方も多いんだとか。

今は半田警察の交通課さんが入られてます。

結婚式場から警察署ってポケモンも驚く進化です。

 

・北浜田町

パワードーム西の阿久比川周辺の地域を指します。

ちょうどカーマの西側の道路にかかってる、黄色い作りかけの橋ってなんなんでしょう?

数年前トラックがそこに接触して通行止めになっていました。

・勘内町(かんないちょう)

半田幼稚園と半田小学校がある地域。

・東天王町

西天王町と線路を境にした地域。

・本町

丸初製菓さん、同盟書林さん等かなり古い町並みが残る地域。

・東本町

日本酒「国盛」で有名な中埜酒造さんの工場が立ち並ぶ地域。

川沿いの道は整備されていて、桜の季節は最高の散策路になります。

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・中村町

ミツカン酢の本社、魚太郎半田店や人気スポット「ミツカンミュージアム」がある地域。

ミツカンミュージアムは1か月以上前からのミツカンミュージアムは予約が必須です。

・山崎町

字名が山崎だったことからこの地名となる。

・御幸町(みゆきちょう)

御幸とつく地名は「かつて天皇陛下が足を運ばれた場所」という意味がある。

この地がそれに該当するかは不明ですが、明治天皇や今上天皇陛下が半田市を訪問されたことがあります。

円芯(まるしん)といういわし料理専門店がとても美味しくてヘビーユーザーです。

また和菓子の有名店、松華堂さんがあるのもここです。

・新川町

由来は1536年、猿渡川(場所不明)の水を直接海に流すために開削された新川にちなみそう。

低地のため、昭和50年以前は水害に見舞われていたようです。

今は移転しましたが、模型のアサヒヤという名店があり、小学校の頃はよく通った思い出。

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アサヒヤさんのサイトより。

2023年にアサヒヤさんに出かけたら,私が小学生の頃の店主(女性)が現役で

店頭に立たれてました。

 

・南本町

かつてジャパンボウルというボーリング場があった地域。

撤退後もしばらく墓標のようにボーリグのピンの看板が放置してあった姿がもの哀しくて印象的。

・荒古町

蔵の味という大変美味なお店がある。

・船入町

名前の通り、海の近い川沿いの地域。

やぶ屋があるあたり、というと分かりやすいかもしれません。

 

・浜町

由来不明。ここに行ったことのある半田市民はかなり少ないのでは?

・妙見町

由来は妙見堂から。大正期には芝居小屋があったそう。

「きくよし」という力強い食堂がある。

・西端町

JR半田駅方面から市役所、病院へ向かう時に通る地域。

・山ノ神町

山ノ神社があることから。

・北末広町

ミツカングループの経営者、中野(中埜) 又左衛門の大邸宅がある。

・南末広町

かつては商店街だったが、都市計画で近代化した地域。

・泉町

かつてはユニー(現ピアゴ)の進出で繁華街になった地域。

子供の頃、ここのおもちゃ屋さんが1プレイ100円で任天堂のゲームを提供していて問題になった記憶があります。

・広小路町

名鉄知多半田駅や駅ビルクラシティがある地域。

クラシティは2016年の5月にリニューアルオープンの予定でしたが、2016年12月になっても全く気配がない様子。

進捗が気になります。

この地域は電柱を地中化することで電線をなくしています。

費用は1kmあたりおよそ3.5億円以上とのこと(ゴクリ)

関連記事:クラシティ半田を探検。

・新栄町

市役所の向かいのエリアです。

蔵の町そのもので、瓦屋根の黒い建物が立ち並んでいます。

・日ノ出町

伊勢湾台風の被災地で、台風後急速に発展した。

かつては青果市場があったそうです。

・東雲町(しののめちょう)

初見じゃ絶対読めない町名。その由来は東雲橋によるとのこと。

・源平町

源氏や平氏にゆかりがあるのかと思いきや、そうではなく源兵衛という人がこの地に架けた橋の名前が由来。

・東洋町

東洋紡績の知多工場があったことがこの名前の由来。

半田市役所、半田郵便局、半田病院など半田市の機関部が存在します。

新庁舎となった市役所は、大地震に備えた免震機構「スイッチダンパー」を採用。確かに以前の庁舎は古すぎた。

また、5年に一度の半田山車祭りは地域内のアイプラザで行われます。
(2017年、開催です!)

・幸町

由来不明。NASAという名前の飲食店がありますが、入ったことはありません。(情報求む)

・東浜町

由来不明。ヤナセ、トヨペットなどの自動車ディラーが点在している町。

・亀洲町

調べても出てこないので、おそらく瑞穂町に併合された模様です。

・山方町

調べても出てこないので、おそらく瑞穂町に併合された模様です。

・白山町

由来はわかりませんが、おそらく白山神社から来ているのではないかと思われます。

結婚式場のHAKUSANや、半田商業高校があります。

だてに「山」は名乗っておらず、自転車でここの坂を登りきるのは相当な難易度です。

・更生町

由来が気になっていましたが調べてもわからず。

近年は駅近もあって、介護付き老人ホームが増えた地域。

10年前に起きた姉歯建築士による耐震強度偽装事件で、一建て直しを迫られた半田センターワンホテルもここ。

町内のninoというケーキ屋さんが美味しい。

・大和町(やまとちょう)

由来不明。住宅街です。

・中町

半田地域と成岩地域を結ぶ道路があります。

ここにあるお蕎麦屋さん古窯庵さんはとても美味しく、土日は待ちます。

・協和町

由来不明、半田地区の住宅街。

・郷中町

由来不明、半田地区の住宅街。

・畑合町

スギ薬局の裏、4区画の町。

港本町

海に面してはいませんが、この名前。ここを貫く県道262号線を南に進むとシャンドールがあります。

関連記事:発見!半田の超人気店、シャンドールの予約方法!

・港町

武豊町ー半田市を結ぶ湾岸線が通るところ。

ここを通る貨物線「衣浦臨界鉄道半田線」は東成岩駅と半田埠頭を結んでいます。

この辺りに日曜にやってる歯科医療センターがあり,お世話になった人も多いのでは。

・神明町

港の工業地帯。

・中島町

由来不明。島と名がつく地域は、昔は島だったはずなので、おそらくそれが由来ではないかと思われます。

・北二ツ坂町

今でこそお店も住宅もぎっしり立ち並んでいますが、昭和45年では世帯数4、人口18だったようです。

家具屋さんの経営するDO CAFEがおすすめ。

・土井山町

アミカのある周辺。

西の方には半田市民には有名な小栗牧場があります。

・蝮ヶ池町

検索してもヒットせず。

角川日本地名大辞典によると、蝮ヶ池という池が存在した模様。

・葭谷町(よしだにちょう)

サイゼリアの西の方の町。人家はなさそうにみえます。

・北滑草町(きたなめそちょう)

見る限り田園地帯が広がっています。

・福地町

見る限り田園地帯が広がっています。

・砂谷町

知多半島道路の西側。ここも田園地帯が広がっています。

・松堀町

同じようなコメントですみませんが、ここも田園地帯が広がっています。

・馬捨町

知多横断道路の南側。馬が捨てられていた等のエピソードはなし。

おわりに

ここまで15000字弱、調べながら書くのは楽しくもかなり骨が折れました。

普段何気なく使っている地名。

そんな地名も必ず、いつの時代かの誰かがつけたと思うと、ただの文字以上の親しみが湧いてきますよね。

僕の父の実家は代々続く農家だったので、わりと家系図のようなものが残ってましたが、それでも親戚に1人はいる”詳しいおじさん”を除けば、家系図以上のことは誰も知らない状態でした。

そんな家なので、大昔にうちの先祖が小牧の方からお嫁さんをもらった時、その地域の代表から送られた「よろしく」的な手紙が”一札”と呼ばれ、遺されていました

昔からこういうものに興味があったので、今回のような調査もわりと楽しくできたんだと思います。

どれだけ探してもこういった半田市の地名由来が詳しくのったサイトはなかったので、これが後世に残れば幸いです。

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